CDから学ぶ『斎藤一人さんの言葉』

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愛と光(「知らないと損する不思議な話」より)

   

私は愛と光と忍耐です

それで、今から、このカルマをダルマに変える方法がありゃいいんだよな。
で、ほんとに、カルマをダルマに変える、ダルマ会みたいなのをつくりたいと思ってるくらい。
それで、どうするんですかって話なんだけど、これからは幸せになる話なんだよな。
全然信じらんない人はおとぎばなし聞いてるつもりでいてよ。

あのねぇ、
「私は愛と光と忍耐です」
もいっかい言おうか
「私は愛と光と忍耐です」

あのねぇ、天の中心に、なんて呼んでいいかわからない「エネルギー体」があるんだよ。
これを、「アラー」と呼ぶ人もいるんだ。
「ヤハウェ」と言う人もいるんだよ。
「大日如来」と言う人もいるんだよ。
「廬遮那仏(るしゃなぶつ)」と言う人もいるんだよ。
日本的にいうと、「天之御中主(あめのみなかぬし)さま」っつうんだよ。

要は天の中心に、すごいものがある。
それが、俺たちに分け御霊というのをくれてて、命はそこからしか来ないんだよ。
だから、世界中の学者が集まっても、タンポポの葉っぱ一枚できないんだよ。
生きてる物は、全部できないんだよ。

生命というエネルギーは神がくれるものなんだよ。
分解すっとたんぱく質が何%って、じゃ、ぜんぶ、材料集めて、命、作ってごらん。
できないんだよ。
オッケーかい?

俺たちは、分け御霊というのをもらってんだけど、このおとぎ話のような話が信じられれば、因果を解消できるんだよ。
オッケーですか?

で、この天の中心の神様、なんと呼んでもかまわないからね、これは愛としかり、俺「ひ」と「し」がいえないかんね、こんなにね。
「愛と光と忍耐」で出来てんだよ。
オッケーかい?
「愛と光と忍耐」で出来てんだよ。

だから、自分も「愛と光と忍耐」になっちゃえば、神と同じになっちゃうんだよ。
オッケーかい?

それでね、これからは、因果の解消法の話で幸せになっちゃう話ね。
一日100回、「私は愛と光と忍耐です」って言うの。
オッケーかい?

今言ってることは、みんなで実験しよう、っつってんの。
いいかい。
実験して、みんなが同じ結果が出ればいいんだよな。
わかるかい。

で、俺は証明できると言ってんだよ、その事。
でね、「私は愛と光と忍耐です」って言うと、100回言うと、忍耐が苦手なやつは忍耐っていうと嫌な気持ちがするんだよ。
愛のないやつは、愛っていうと嫌な気持ちがするから逆に涙流しだすから、要は、受け入れないものがあるんだよ。

で、なぜ受け入れないんですかっていうと、愛とか忍耐以外のものが心に入っているんだよな。満ちてるんだよ。
心は空っぽではないんだよ。そこに愛という、要するにコップのなかに泥水が入ってると、それを水道の下に入れて、真水をたらっ、たらって垂らすと朝までに真水に変わるんだよ。
キレイなコップになるんだよ。
てことは、ポタっていうキレイな水が入ったとき、泥水が落ちてんだよな。
ゎわかるかい。

そうすると、「愛と光と忍耐です」って、こうやって入れてると、それ以外のものが落ちだすんだよ。
すと、嫌な気分になるんだよ。
わかるかい。
嫌な気分をためてるんだよ。

だから、そんなもんで幸せになれるわけないんだよ。
そうすると、人によって、一日目か二日目か三日目か四日目かわかんないけど、心が晴れ晴れとするときがあるんだよ。
だいたい10日間でなるんだよ、一日100回、千回でなるんだよ。もっと言ってもいいんだよ。
ただ、ここにいる人たち、一日100回ゆって、何日目でスカッとしてきましたか、って。
それ、話し合いましょうよ。

いいかい。
心の中に「愛と光と忍耐」、いいかい、入れるよね。
で、これを知るというんだよ。いいかい。

みんな俺から教わったから、知ったんだよね。
これを知るというの、知ったことは経験するの。
オーケ?
経験というのは、水泳というものがあるんだよって話をいくら聞いても、水の中に入らなきゃ泳げないんだよ。
空手の本を10冊読んでも、瓦は割れないんだよ。
瓦が割れずに手が割れたりするんだよね(笑)
あはははは、わかるかい。

それは経験しなきゃいけないんだよ。じゃ、知りました。
そうしたら、恵美子さんだろうがなんだろうが、全員やったことが違うから、起きてくる因果が全部違うんだよ。
でも答えはたった一個なんだよ、いいかい。

この問題を「愛と光と忍耐」として答えたらどうなるだろう。
で、それで答えを出すクセをつければいいんだよ。

そうすっと、いや浮かばなかったんですって、浮かばなくてももいいんだよ。
前は「このばかやろう」っていっちゃうとこを、「愛と光と忍耐」としたら、って考えただけでも前より一歩。
オッケ?
一歩、進歩してるんだよ。

ね。で、そういうふうに答えだしてくると、次の段階は答えが出るようになるんだよ、要するに思ったら言うんだよ。
すと、ゆったらどうなるか、ゆうとこういう現象が起きるんだよ。
心にひっかかりが出来るんだよ。スカッとするんじゃないんだよ。
「もうちょっと、ああいえば良かった」「俺、笑顔が足んなかった」とか、後から反省点が出るんだよ。

そうすると、その反省をしながらまた次に向かうと魂は、上に上にと向上するんだよ。
オッケー?

因果とは、あなたが出したものと同じ高さの津波がくると思えばいいんだよ。
津波が来るのは出したときと同じ次元にいるから、津波にやられるんだよ。
ところが、魂が向上して上に行っっちゃうと、津波がきても被害はないんだよ。
津波がこないっていってるんじゃないんだよ。
もっと上にいっちゃえば、来る必要もないんだよ。
わかるかい?

だから、起きたことに対して、これは「愛と光と忍耐」でっていう解決を考えればいいんだよ。
それで言うクセをつけると全部消えちゃうんだよ。
オッケー?

心が必ずひっかかる。
心がひっかかったら改良してまたやる。
そうするとどうなるか。

魂が上になってくると、神様の今度試験がある。
こういうことしてても、問題起きるんです、って。
起きるの。

なれてくると、そろそろ神様の試験あるぞ、って。
試験なんだよ。
どうしても言いたくなるような試験を出されるんだよ。

そうしたら、この問題は、「愛と光と忍耐」でって考えたら、答えはいっこなんだよ。
で、答えの出し方の問題じゃないんだよ。
一番の問題は、心構えなんだよ、要するに「愛と光と忍耐」としたら、って事なんだよ。
オッケー?

で、それで、やれば全部がうまく行って因果が解消するんだよ、要するにカルマがダルマに変わるんだよ。
オッケーかい?
いいかい?

この世の中は対極、男がいて女がいて、闇があって光があるんだよ。
いいか、覚えといてよ。

神とは、「愛と光」なんだよ。
「愛と光」ってのは、簡単にいうと、やさしいんだよ。
ほいで、明るいの。
やさしくて、明るいんだよ。

もういっかい言うよ。
やさしくて、明るいの。
これを「愛と光」っつうんだよ。

じゃ、反対がし。
1mの棒があると思って?
で、一番最初、こっちのね、右端が「愛と光」とするよな。
反対がし、対極が闇、「恐れと暗さ」なんだよ。
で、真ん中から向こうを「悪魔の領域」っつうんだよ。
恐れがちょっと軽くなったようなものが、「心配」なんだよ。

だから、「心配だ心配だ、子供が心配だ」って言ってる人は、天国いけないよ、「悪魔の領域」なんだよ。
わかるかい?

子供を心配すんのあたりまえっつうけど、子供はいっこの魂であなたの所有物じゃないんだよ。
川の流れのようにあなたの身体流れて出てきたけど、魂はいっこの別物なんだよ。
あなたと同等の魂なんだよ。
この子はこの子の、魂で、自分で背負えるものをもってきたんだよ。

だからどんなことしてもそのカルマを解消しようとするんだよ。
だけど、親は苦労さしたくないんだよ。
だけど、片一方は経験したいんだよ。

だから、そこにぶつかりあいが生じるんだよ。
この子はこの子で、自分で背負えるものをもってきた。
あなたは、それを超えられる立派な人なんだ。
お母さんは信じてるよ、って言うのが、「信じてる」ってことなんだよ。

お母さんはお母さんで魂の成長があるんだよ。
わかるかい?

子どもを信じて、自分を信じて、神を信じてる人間に、心配なんかないんだよ。
わかるかい?

それで、真んなかからこっちの神の領域。
いいかい?

「愛と光」というものに、いつも心を忍耐強く置くんだよ。
忍耐とは、苦しいこと、悲しいことに耐えろと言ってるんじゃないんだよ。

俺、仕事をしてても、そんなに「忍耐強く」とか「辛抱して」とか、やったことないんだよ。
そのかわり、気持ちを暗いほうとか、俺のお弟子さんで、俺の機嫌とった人いないっつうんだよ。

何十年間も俺は、「愛と光」要は、やさしくて、機嫌よくて、明るいところにいるんだよ。
みんなが否定的なのは、実は、習慣なんだよ。
みんなが暗い、っていうのは、習慣なんだよ。
で、あなたの習慣、じゃないんだよ。

あなたの考えは、あなただと思ってるけど、実は親の考えとか、
その親はおじいちゃんの考え、先祖代々、そういう考えで、世間のいうことを聞いてるだけで、あなたのほんとのの考えなんか、何%もないんだよ。
あなただと思ってるのは実は本当の、あなたではないんだよ。

それで、いつも自分が魂の領域にいるんだよ。
だけど、戻っちゃうんだよ。
よく、「タバコがやめられない」って言う人いるじゃん。
で、誰かが、刀みたいのもってきて、「タバコ吸ったら、刺しますよ」つったらタバコやめるよな。
わかるかい?

それを自分でやりなさいっていうのが、いいかい?
忍耐の忍っていうのは刀の下に心を置くんだよ。

だから歯磨きでも、左から磨いちゃうやつが、右が正しいんだよ、っつったら、1週間ぐらい我慢して右からやんないと、反対からこうやってやるクセつければなっちゃうんだよ、だからクセをつけるまでは心に刃物を持つという気持ちがないと出来ないんだよ。
わかるかい?

ぐっと忍ばないとダメなんだよ。
で、心を「愛と光」のところに置いとかないと、ダメなんだよ。
オッケーかい?

だから、すべてのこと、嫌な男でも我慢しましょうとか、こういうのでも我慢しましょうとか、そんなこと言ってんじゃないんだよ。
心を明るい方に置くんだよ。
いいかい?

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